2017年6月27日火曜日

日影沢金山跡は現在工事中です。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


静岡あさひテレビ『とびっきり! しずおか』の皆さんが、きょうは日影沢の金山跡も取材してくださいました。

それに便乗して、現在工事中で行けなくなっている坑道の入口のところへ、静岡市の職員の方に特別に案内していただきました。

工事が終わるのは、今年、2017年の10月末ごろだそうです。坑道入口がとてもよく見える新しい橋も建設中です。楽しみですね〜。

梅雨の晴れ間を歩くこの季節は、ヤマヒルが発生していますので、靴からヒルに侵入されないようご注意ください。ヒルには毒がないとはいいますが、気持ち悪いですから、濃い塩水を靴や靴下に染み込ませるのも良いそうです。

静岡あさひテレビ『とびっきり! しずおか』の取材がありました

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょうは静岡あさひテレビの『とびっきり! しずおか』の皆さんが、梅ヶ島温泉を取材してくださいました。

源泉の岩風呂のこと、湯之神社のこと、金山のことなど、テレビでたっぷり紹介してくださるのは、静岡県限定となりますが、来週、7月5日(水)の午後5時ごろからです。

県内にいらっしゃる皆さんは是非ご覧ください。

草刈り

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


今日は梅雨の晴れ間に温泉街の草刈りが行われました。とてもすっきり。皆さんお疲れ様でした。

2017年6月21日水曜日

久しぶりの大雨です。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


ずっと空梅雨でしたが、きょうは久しぶりに大雨が降っており、新幹線などに遅れが出ているようです。

静岡駅から掛川駅の間では、新幹線の運転を見合わせていて、上下線の一部の列車に遅れが発生しているそうです。

梅ヶ島温泉までの県道29号線には、通行止め等の情報は特に出ていません。

雨でも安全運転で、お気をつけておいでください。

(写真はイメージです)

2017年6月19日月曜日

2017年6月17日土曜日

梅ヶ島温泉 散策マップ

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


昨年の秋から、梅ヶ島温泉の各施設にてさしあげている「梅ヶ島温泉 散策マップ」です。

A4サイズで、1センチ=40メートル。決して広くない温泉街ですが、安倍の大滝入口、三段の滝、林道ゲートまでの旅館・民宿などの位置関係がわかります。

お泊りの時、ちょっと散歩してみようかなという時には、ぜひこれをお持ちください。

梅ヶ島温泉へは、まだ行ったことがないという方には、PDFでプリントしていただくこともできます。

2017年6月14日水曜日

慶長大判の本物と、慶長大判パワーステッカー

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


左が本物の慶長大判です。

江戸時代の初期、慶長6年(1601年)より発行された大判で、徳川家康公による天下統一を象徴する「慶長金銀」の中でも最大で、最も貴重なものです。

墨で書かれているのは「拾両後藤じゅうりょうごとう」という文字で、室町時代から江戸時代にかけて、代々、彫金を行うことを任されてきた後藤四郎兵衛家ごとうしろべえけによる正式な大判であることを表しています。

写真の右側は、梅ヶ島温泉「濃い金運キャンペーン」に応募するともらえる「慶長大判パワーステッカー」です。

この写真では、色を調整してさらにそっくりにしていますが、大きさと形は本当に、本物の慶長大判とそっくりです。

本物なら時価1500万円もするという、大変に貴重な慶長大判ですが、梅ヶ島温泉に泊まって、安倍の大滝へ行って写真を撮ってきて応募するだけでもらえます。

さらに抽選で、純金も当たります。純金が当たると、梅ヶ島温泉にペアでご招待するのでまた泊まれるという、すごく楽しみなキャンペーンです。

詳しくは、こちらのページをご覧ください。

2017年6月13日火曜日

昭和11年(1936年)8月13日(木曜日)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

昭和11年(1936年)8月13日(木曜日)という日が、梅ヶ島(当時の靜岡縣安倍郡梅ヶ島村)にとっての大きな記念の日になっています。

それは、静岡の市街地方面から梅ヶ島まで、自動車で通ることができる道路が開通した日だからです。

梅ヶ島温泉の歴史(5)では、『史話と伝説 梅ヶ島物語』という本の中に「昭和12年」に開通したと記されているということを紹介しましたが、きょうは、梅ヶ島の歴史に詳しい方に教えていただきましたので、それを紹介します。

教えてくださった方は、市川重平じゅうへいさん。

梅ヶ島小中学校のある六郎木(字)の市川屋のご主人で、かつては梅ヶ島で教員もされ、静岡市と合併後には、市会議員もされていた先生です。

教えてくださった内容は、次のようなことです。

「梅ヶ島村誌」によると、昭和10年開通になっていますが、他の文献では、昭和11年8月13日となっています。

時の駐在所警察官14代の山崎亀雄氏の日記から、この日を割り出しています。

僕の記憶でも、僕は当時、小学校の4年生だったと思うので、昭和10年ということはないだろうと思っています。

開通の日には、静岡市の方から、当時「豆タク」と呼ばれていたタクシーが8台やってきて、その8台が並んで駐められていたのを憶えています。

自動車道路が開通したのを記念して、当時の梅ヶ島小学校の校長先生が「一千いっせん四百しひゃくの村人は…」という歌を作ってくれて、それをみんなで歌いました。当時の梅ヶ島村の人口は1,400人だったんです。


ちょうどそのころ、お父さんが梅ヶ島の駐在所に勤務していたという方から、梅ヶ島温泉の清香旅館に、とても貴重な品物を見せていただきました。


この写真の、木のお盆です。

とても大事に保管されてきたようで、まるで最近の物のようにも見えますが、金の文字で「林道開通記念」と「梅ヶ島村」の文字が、右から左に印されています。

当時は今のような「県道」ではなく、「林道」とされていたこともわかります。
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2017年6月10日土曜日

オオイタヤメイゲツの群生地

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょうはちょっとだけ、残念なお知らせ・・・。

毎年5月下旬ごろ、安倍峠などで満開になるシロヤシオツツジ(ゴヨウツツジ)の花が、今年はどうやら咲かなかったようなのです。

昨年は見事に咲いたので、今年も楽しみにしていたんですが・・・そういう年もあるんですね。(涙)

でも、安倍峠は、それ以上に、オオイタヤメイゲツの群生地として知られるところです。写真がそのオオイタヤメイゲツです。今、新緑で美しいですよ。
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2017年6月9日金曜日

新緑前と新緑後を比べてみた・・・

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


山々は、日々表情を変えて生きています。
もちろん、お天気によっても、様子ががらりと変わりますが、この写真では、4月初めごろの「新緑前」と、5月末ごろの「新緑後」を比べてみました。

左の方は、影がはっきりしているので晴れで、右の方は、影がくっきりしていないので薄曇りなんですが、どう見ても右の薄曇りの方が鮮やかですね!

最高のシーズンになりました。

晴れても、曇っても、雨が降っても、眩しい緑に感動されることと思います。
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2017年6月3日土曜日

梅ヶ島温泉が登場する『鬼平犯科帳〜雨乞い庄右衛門』

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


今回は、梅ヶ島温泉が登場する『鬼平犯科帳〜雨乞い庄右衛門』をたっぷりとご紹介します。

池波正太郎は30歳を過ぎたころ、当時開通したばかりの静鉄バス(梅ヶ島温泉までバスが来るようになったのは昭和27年だそうです)に4時間も揺られて梅ヶ島を訪れたことがあるそうです。大正12年(1923年)生まれで、30歳になったのは昭和28年(1953年)の正月ですから、当時は梅薫楼にお泊りだったわけです。(参考:梅ヶ島温泉の歴史(5)

それから『鬼平犯科帳〜雨乞い庄右衛門』を執筆したのが、恐らく、昭和45年(1970年)か、発表された昭和46年(1971年)だと思われるんですが、やはりその当時、池波正太郎さんは梅薫楼に電話をかけてこられ、「このような内容で梅ヶ島温泉のことを書くが間違いがないか」という校正を依頼されたそうです。

さすがは大作家、日本を代表する時代小説の大作家です。

『鬼平犯科帳〜雨乞い庄右衛門』は、決して梅ヶ島温泉だけを舞台にしたというわけではないにも関わらず、しかも、書こうと思えば何とでも書けたであろうにも関わらず、江戸時代からの梅ヶ島温泉を伝え聞いているであろう梅ヶ島の人たちから見ても、自分の書く梅ヶ島が見当違いになっていないかどうか、しっかり確認されたということなんですね。

その池波正太郎が、『鬼平犯科帳〜雨乞い庄右衛門』の中で、梅ヶ島温泉のことを次のように書いています。


 庄右衛門が、約三年の間、湯治につとめていた場所は、駿府すんぷ(現静岡市)から安倍川沿いに北へ十五里ほどのところにある梅ヶ島の温泉だ。
 切り立った山肌と深い渓流にかこまれた岩の間から、こんこんとわき出る温泉は万病に効くといわれている。しかし、なんといっても山深いところゆえ、山小屋のような旅籠が一つあるだけで、そのようなところへ、大盗・雨乞いの庄右衛門ともあろうものが、よくも三年の間、じっと息をこらし、辛抱していたものだ。
 庄右衛門は、梅ヶ島の上の安倍峠をこえて甲斐の国へ入り、富士川辺りへ下ったところの横根村で生まれた。だから、このあたりの様子にはくわしいし、少年のころ、父親につれられて梅ヶ島の温泉へ来たこともある。

 (略)

 庄右衛門の病気は、関節痛と心臓である。一時は死ぬか、とおもわれたほどだが、下ノ郷の隠れ家で十カ月ほども療養するうち、すこしは持ち直してきた。
 すると庄右衛門は、
「こんなところにかくれていては、死ぬのを待つばかりだ。一か八か、梅ヶ島へ行ってみる。あそこの湯につかって、気長に湯治をすれば、もう一度、おつとめができるかも知れねえ」
 と、いい出し、病みおとろえた身を馬の背に乗せ、それを勘行かんぎょうの定七に曳かせて梅ヶ島へ向かった。

(略)
 
事実、そのころの庄右衛門は心ノ臓のほうが悪化し、食慾もうしない、やつれ果てていたのである。
 それがどうだ。今年の春ごろからめきめきと体力がつき、見ちがえるように元気が出てきた。
(こうなったら、最後のおお仕事を……)
 と決意するや、矢もたてもたまらなくなり、
「今年中には、江戸へもどる」
 と、定七を使いとして江戸へさし向け、深川・小松町で[眼鏡師・半兵衛]になりすましている鷺田の半兵衛へ、いい送ったわけだが、定七が梅ヶ島を発って五日もすると、あまりにも躰の調子がよいのでわくわくしてしまい、
(そうだ。一人で定七の後を追いかけ、いきなり、この元気になった顔を見せてやったら、半兵衛もお照も、どんなによろこぶことか。よし、ひとつ、びっくりさせてやろう)
 おもいたつと、たまらなくなり、馬をやとって梅ヶ島を発し、駿府からは駕籠かごを乗りつぎ、由井の宿場まで来たわけであった。
雨乞いの庄右衛門は、六尺に近い大男だが、五十八になったいま、さすがに若いころのたくましさはない。
 それでも、骨ばかりだった胸や股に肉もついてきたし、何よりも夜の寝床で、心臓の発作ほっさへの不安が、
(このごろは、まったく起きねえ)
 のが、うれしく、こころ強い。



梅ヶ島温泉を舞台にした大盗賊の庄右衛門は、もう死も近いと思っていたところ、梅ヶ島温泉へ行って完全に回復したということです。

小説のように、「万病に効く」と言い切ってしまうことはできませんが、江戸の昔から、知る人ぞ知る、至高の硫黄泉だったことに間違いはありません。

2017年6月1日木曜日

今こそベストシーズン! 新緑で深呼吸!

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


梅ヶ島温泉のおゆのふるさと公園中腹にある湯之神社の裏手、源泉洞窟 “岩風呂” のあたりから撮った写真です。

この緑に包まれているだけで、厳しい夏だって乗り越えられそうなエネルギーがもらえる! そんな気がします。

梅ヶ島温泉も今、新緑でいっぱいなんです。

その「新緑」、改めて辞書に問いますと、「初夏のころの木々の若葉のつややかな緑」(大辞林)と出ています。季語としては「夏」ですね。

新緑は目に美しいことはもちろんで、紅葉よりも新緑の方が好きという人も少なくないでしょう。

ではどうして紅葉よりいいのかと考えてみますと、目に映る緑の美しさだけではなくて、胸いっぱいに吸い込む空気のおいしさ、木々と若葉の香りに酔いしれる快感にも、その理由があるんじゃないでしょうか。

だから、新緑の季節は深呼吸の季節!

もちろん普段から、健康のためには深呼吸が必要なんですが、今のこの季節ほど、深呼吸の気持ちいい季節もないということですね。

梅ヶ島温泉を楽しむなら、今こそベストシーズンなのかもしれません。

2017年5月30日火曜日

かつての源泉洞窟 “岩風呂” と “市営浴場” のこと

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


この写真は、昭和41年(1966年)ごろの源泉洞窟 “岩風呂” です。

中はそこそこに広さもあって、5〜6人ぐらいが一緒に入ることができました。

現在ではこの源泉と、この源泉周辺にも湧出しているお湯が、全部で12軒の旅館や民宿に供給されていますので、この岩風呂も衛生管理のため施錠されていて、この写真のように入ることはできません。

唯一の例外は、毎年二回行われる岩風呂の清掃で、梅ヶ島温泉観光組合の組合員によって行われます。

この写真の当時には、この源泉のあるおゆのふるさと公園の敷地内に、市営の温泉浴場もありました。

昭和35年(1960年)生まれの筆者は、まだ小学校に上がる前からその浴場で泳ぎをおぼえ、犬かきでしたが、それが大いに自慢だったものです。

現在ではその浴場も廃止され、梅ヶ島温泉には市営の浴場はありませんが、日帰りで入浴したいというお客様は、各旅館・民宿と、食堂の湯元屋で入ることができますので、それぞれの施設にお問合せください

また、梅ヶ島温泉から南にずっと下ったところに、平成11年にオープンした新田温泉「黄金の湯」(市営)があります。残念なことに、最近では「黄金の湯」のことを「梅ヶ島温泉」だと思っておられる人も少なくないようですが、黄金の湯は梅ヶ島温泉の源泉を引いたものではないため、泉質も「ナトリウム炭酸水素塩泉」とされていて、ここ梅ヶ島温泉の「単純硫黄泉」とは異なります。

ちなみに「黄金の湯」という名称は、本来、梅ヶ島温泉の別名でもあったものですから、それも一層、混乱のもとになっているのかもしれません。
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梅ヶ島温泉の歴史(5)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


今回も『史話と伝説 梅ヶ島物語』を資料として、梅ヶ島温泉の歴史についてまとめてみます。

今回は、梅ヶ島温泉の経営と発展の歴史についてご紹介します。

江戸時代の中期には、よしとみ荘さんの祖先が梅ヶ島温泉を経営していたといいます。

その後、天保てんぽう7年(西暦1836年)から15年間は日影沢儀助さんの経営となり、嘉永かえい4年(1851年)から望月瀬平さん、明治16年(1883年)から「永寿軒」という名で甲州の木内伴六さんが経営されたそうです。

明治38年(1905年)、梅ヶ島温泉は梅ヶ島村民の共有財産となり、明治40年(1907年)から美和村の望月庄太郎さん、大正14年(1925年)から狩野信吉さんが、それぞれ使用料を納めて経営しました。

昭和10年(1935年)には、当時の村長代理助役だった望月吉久さんの熱意によって、渡村から梅ヶ島温泉までの車道造成が県に陳情されました。

当時の国家予算(昭和12年で47億円)のおよそ一万分の一近くもあった「36万7千円」という巨額の計画に対して、県議会では「僻地にそこまで巨額の公費は出せない」という反対にあい否決されましたが、東京営林局の局長であった花園一郎氏に陳情してなんとか許可を得、それまでは徒歩二日がかりで歩いていた道のりが全線車道となる大工事が始まりました。

その際に、地元の受益者負担金としての10万円という費用を拠出した手塚忠吉さんが、20年間の温泉旅館の経営権を委され、現在も最も古くから営業している梅薫楼ばいくんろうの経営が始まりました。

そのようにして、梅ヶ島温泉までの車道全線が開通したのは昭和12年(1937年)のことです。

太平洋戦争当時には陸軍傷病兵の療養所となり、また戦況の悪化にともなって都市部から疎開してくる人々の食料調達に明け暮れるなど、梅ヶ島村は秋山義則村長の多大な功績もあって激動の時代に貢献してきました。

そして昭和31年(1956年)、旅館営業権は梅ヶ島村の有志に開放され、この時から、源泉のお湯が各旅館にも引かれるようになり、今のような秘境の温泉街へと発展してきたのです。
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2017年5月28日日曜日

梅ヶ島温泉の歴史(4)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


写真は、昭和14年の夏に、梅ヶ島温泉の梅薫楼に滞在した、歌人の吉井勇です。写真の原典は、昭和30年の『アサヒグラフ』新年号に掲載されたものです。(現時点では著作権がなくなっています。)


吉井勇は、梅ヶ島温泉滞在中に短歌を残していて、それが『史話と伝説 梅ヶ島物語』にも掲載されていますので、いくつか紹介します。

 天平の昔より湧く湯を浴めば思いはるけくなりにけるかな

 あめつちの大きこゝろに親しむと駿河の國の湯どころに來し

 金の湯に一夜浴みなばうつし世の憂いかなしみなべて忘れむ

この中の二番目に紹介した歌は石碑になっていて、梅ヶ島温泉おゆのふるさと公園の中にその石碑があります。